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 音楽をきくようにしてみた。アイフォンに音楽をちっとも入れていなかった。手元のかばんに常に入っていたイヤフォンは底でくすんで絡まっていた。音楽をきくという行為が最近の自分とどうもピントが合わなかったのだ。たんに元気がなかったのかもしれない。音楽は侵入してくるものだ。ちからの低下しているわたしはありとあらゆる侵入を拒絶した。耳に入る音や声のすべてがきつい。誰かの陽気なくちぶえも、風の吹き入る音ですら。混んだ電車で触れてくる他人の服の裾がつらい。見知らぬ人のたばこのけむりがつらい。予期せぬあらゆる香りも。わたしはわたしの和室をしめきってあるまじろのようにすべてから身を守り眠った。いつからこんなことになってしまったのだろう。どこでもいつでも誰とでもどこにでもいけて何をきいても誰と眠ろうとそこなわれる感覚などないわたしだったはずなのだ。わたしがわたしである意識がどうにもわたしをつらくする。それでも自分がない状態よりましなのだろうか。わたしにはよくわからない。だがどうやら音楽は聴けるようになった。クラムボンのあたらしいアルバムを聴いた。夫からひと月も前にプレゼントされていたものだが正直さわりも聴けていなかった。きいてみれば勝手に警戒していたほど体力を消耗する音楽ではなかった。自転車に乗りながら聴いたというのもあるだろうけれど。拍子抜けなくらい、とても良くて、急激に音楽と自分のピントが合っていくのを感じた。

 いまならわかる。わたしは、そんざいしないかもしれない無数の侵入者からみずからを守るための殻が重たく歩くのも精いっぱいだ。ただこっけいなひとりずもうをとっているにすぎないのだ。これが他人なら横目でみて通りすぎながらばかなやつと鼻で笑う。でも他ならぬわたしなので付きあうよりしかたがない。自分でつくりあげた殻をなだめすかして、そのうちやわらかい膜のようになってくれたらいいと祈りながらのろのろと歩みをすすめる。