TEXT:ひさしぶりに書いてみちゃったりした

“ふたつのりんご”

 もう、たまらなくって、この距離が。触れようと思えば触れられる近さ、というのでもなくて、もうとっくに触れているし、ハグもするし、ときには同じ毛布で寝たりだってするのに、それでも友達の範疇を出ないわたしたち。出たいのに、わたしはここから抜け出して、次のステージにいきたいのに。かれは平気で、わたしに要求する。同性の友だちに、いやもっと悪くすれば弟にそうするように、そのからだに触れることを、要求する。いつものように電話で呼び出されてかれの部屋をおとずれたわたしに、かれは言った、いつものように。「みーさーやっほー!肩!肩もんで。」どうして、そんな何でもない顔で。にくらしくって、もどかしくって、たまらなくなって、かれを押し倒した。両肩をカーペットに叩き込むように。「ふ。」と不意をつかれたかれの喉から息がもれる。ああもう。「好きなの!」叫んだ。必死の叫びだったのに、泣き出しそうな、思いのほか情けない声音が出てきてびっくりした。かれは視界が反転して戸惑っているような、ぽかんとした表情をわたしに向けていて、ほんとうににくたらしい。「好きなんだよ…。さく。」と、もう一度言った。声は本格的に情けなくて、かすれてもいて、積もり積もった切なさが伝わりそうだなと、我ながらおかしく思った。逸らしてしまいそうになりながら、でも真下のさくの顔をまっすぐ、見つめた。さくの焦点がわたしに合って、すぐに、その赤茶色の瞳に理解の色がうまれた。つぎはどう出るか、と身構えていたら、さくは笑った。にこおおおお、と、花が咲くような、魅惑的な、わたしの大好きな顔で笑った。わたしの大好きな笑顔…でも、それとは何かが少しちがうような気も、した。じ、と見入っていたら、さくの両肩についていた両手を払われて、わたしはさくの胸に落下した。「う。」と声がもれる。何を、と言いかけたけれど、すきも無くさくに下から抱きしめられた。「ぼくも好きだよ、みさ。」さくは、おだやかな声で言った。とたんに胸がきゅーん、と縮む。ちがう、ちがうんだよ、さく。そんな「好き」ならもう何年も前から、何十回も何百回も、もらってるんだ。わたしがほしいのは、それじゃないのに。「は、」やっぱりだめだったか、と、さくの腕を抜けようとしたら、さくは続けて言った。「世界でいちばん好きだよ。」腕でわたしの背中をきゅっとしめつける。「いままで会っただれよりも、みさのことが好きだよ。」おだやかな声のままで、言った。「みさのことが誰よりもかわいいと思うよ。みさと食べるごはんが誰と食べるごはんよりもおいしいよ。みさのいる景色が何よりも美しいと思うよ。みさの友達全員がうらやましいよ。みさの男友達全員が憎らしいよ。」心臓が、打つ。今までありえたことのない早さで、どくどくと鳴る。うるさい位。それでもさくの澄んだ声は、しっかりとわたしの耳に届く。「そばにはいつもみさがいてほしいよ。みさの作るおかずはいつもでたらめでごはんの硬さも毎回ちがうけど、銀座の寿司屋とか3つ星シェフのレストランの味よか、ずっと大好きだよ。ぼくはみさがある日ここに来なくなったら、悲しみに暮れるよ。みさが突然誰かと結婚したら、新居には毎日不幸の手紙を送り続けてやる。みさとずっとここにいたいよ。みさにさわりたいし、近づきたいし、ハグしたいし、もっとみさをぼくのみさにしたい。だから、」と、さくは背中の腕を解いて、両手をわたしの頬に添えた。すっかり濡れてしまったわたしの目が、澄んださくの目に射られるようで痛い。「だから、いままでと変わらないね、みさ。」さくは、にこおおおお、と、笑った。見入る。ああ、やっぱりいつもの笑顔だ。わたしの大好きなさくの、大好きな笑顔だ。「うん、」と、「うん、うん。」と、わたしもうなずいて笑った。さくの顔にしずくを落としながら、笑った。「そうだね。いままでと変わらないね。」今度はわたしからハグをした。あのどうしようもなかったもどかしさは、それで消えた。さくはこんなに腕の中にいたのに、ずっと。今の位置から動くことなんて、ないんだ。わたしはさくの一番近くにいることをかみしめて、しあわせな気分になった。「んふふ…。」「なに?みさ。」「肩。もんでほしいんだっけ?」わたしは身体を少し浮かせて、きいた。「んー、やっぱそれよか、ごはんたべたい、みさ。」にこっと笑うさく。「そだね。そういえば、肉じゃが食べたいっていうから、じゃがいも買ってきたんだったよ。」よいしょ、とさくの上から起きあがって、涙をふいた。「ちょっと待ってて。すぐ作るね。『でたらめ』なおかずで悪いけどね…。」と、嫌味たらしく言って、横に転がりっぱなしだったじゃがいもたちをスーパーの袋に拾い入れて、狭い台所に向かうわたしの腕を、さくは掴んだ。「ん?」「やっぱりさ、」さくは言う。「ひとつだけ、いままでと変わってもいい?」「え、」というひまもなく、壁に押し付けられた。またもや転がるじゃがいも。背中がひんやりと冷たくて、さくの顔が近い。反射的に目を閉じたら、キスをされた。くちびるにやわらかい感触。心臓がまた急に騒ぎ出す。顔が真っ赤になる、のがわかる。2秒、3秒、くちびるが離されて、おそるおそる目をあけると、意外なことに、さくの顔も真っ赤だった。見たことのないさくの顔。新しいさくの顔。うれしくて、「ふふふ。」とわたしは笑った。顔を真っ赤にして笑った。さくも、そんなわたしを見て、頬をすっかり染めたままで笑った。じゃがいもを床に転がしたまま、ふたりで笑いあった。