モンスター

 思ったことを言えなかったり、思っていないから言えたり、想っているから言えなかったりする。言葉なんていうのはたよりないツールだ。

 心では確実に何かを感じていて、その何かは自分のなかに大きな質量をもって存在しているのに、必死になって言葉で表そうとすると「ダイスキ」なんて陳腐なものになったりして、口に出した瞬間「うっわ…。」ってなる。自分の内部に存在した一種神聖で一種まがまがしいような複雑な想いが、「ダイスキ」なんて単純きわまりない、ばかばかしい四文字に変換されてしまって、侮辱されたような、汚されたような気持ちになる。自分の言語能力に心底絶望する。いや、「ダイスキ」も間違ってはいないのだけれど、うにゃうにゃしたよくわからないスライムみたいな物体から、ハサミできれいな小さい立方体だけを切り取ったような違和感がある。実際こんなきれいなもんじゃねーだろ、って。うにゃうにゃをもっと正確に表そうとしたら、「いっしょにいてどきどきする、楽しい、うれしい、でも切ない、ぜんぶが欲しくなる、噛みついて、引き裂いて壊してしまいたい、でも大事にしたい」とかってなるのかな。でも、これでもまだまだ違和感は残る。切り出す立方体の体積が少し大きくなった程度のものだ。どんなに言葉を連ねても、きっと自分の中のスライムを正確に表すことなんてできやしない。むしろ言葉を重ねれば重ねるほどに、伝えたい想いから遠ざかっていくようだ。この想いを伝えることができない。絶望的だ。伝えようとすることをやめてしまいたい。もう黙ってしまいたい。

 けど、言葉をなりわいにしている人(小説家、詩人、シンガーソングライター、etc.)なんていうのは、そういう言葉の限界みたいなものを誰よりも知っているはずで(きっと、言葉の能力が豊かになればなるほどに)、それでも彼ら彼女らは言葉を紡ぎつづけ、表現できない何かを表現しようともがくのをやめないし、伝えきれないものを伝えようとすることを諦めないのだなあと思うと、本当にすごい。そういう姿勢って、見ていてとてもきれいだと思う。ひたむきな表現者たち。

 言葉の限界は毎日毎日痛いほどに感じている、特にあたしは喋るのが下手だから。もどかしくて辛くて、いっそ言葉なんてなければ、なんて思ったりもする。だけど、つたなくても下手くそでも、諦めないで伝えようとすることが大事なんだと思った。言葉でお仕事する人たちとの出会いや、何冊かの本との出会いでそう思った。あたしは黙らない。泣くように叫ぶように、喋り続けることをやめない。