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 わたし、月並みなことを言うのだけれど、子どものころにかえりたい。まっさらだったあのころ…とか、傷つくことを知らなかったあのころ…だとか美化しているわけではなく(まっさらどころかけっこう小ざかしかったことをわたしはおぼえているし、傷つくことはむしろそのころのほうが多かったようにおもう。そういった意味では今のほうが格段に気楽だ)、ただただ、肉体的に。無毛だったころに。
 おとこもおんなもなく全員すっぱだかでプールに入ったし、どっちのトイレにも入れたし、○○ちゃんとも○○くんとも手をつないでた、それがきゅうに分けられちゃって、え、なに、女子更衣室? なあに、それ。って、いう驚きをわたしはまだ、だいぶ引きずっているのだとおもう。ばかみたいなお話だけれど。
 あの日、教室から男の子たちがどこかに消えてしまって、わたしたちにひと袋のロリエが配られてから、わたしは女ということになった。
 最初はおどろきつつもへぇ、そうなんだ、そういうものなのね女って、と受けとめていたようにおもうのだけれど、高校生のころにはそのことに対する嫌悪感が爆発しそうになっていた。当時のメモ。タイトルは「3時限目は水泳」。

男達が品定めを始めるので私たちは首筋に匂いを噴いた
今日も何人かの女子が目の上の痣にアイシャドウを塗って談笑する
女子トイレで泣く
血を流す子宮に文句も言えずに
ひざまづいて綿を詰めた

 男の子への嫌悪と、被害者意識が満載で、今読んだら驚いた。
 たしかに女の身体というのは、それだけで悲劇的になれる要素を充分に含んでいる。定期的に血を流すし。それに身体的・精神的苦痛が伴ったりね。容易に身体を開かれてしまうこともあるし。女であることを嘆こうとおもえばいくらでも嘆くことはできてしまう。じっさい今でもわたしは月経のたびにやれやれという気持ちになるし、自分の中にいるらしい「女」というやつにほんろうされてやまない。
 そういうあれこれからかいほうされて、おとこもおんなもなく同じ部屋で服を脱ぎ、同じ風呂に入りたい。触れたいひとの、触れたいところに触りたい。
 けれどそんなことを言っていてもしようがないのであって、わたしにはもう毛が生えてしまったし、膨らんでしまった。始まってしまった。アダムとイブの禁断の果実? そういうのはよくわからないけれど、そういうのがあるのなら、わたしはもうとっくにかじってしまっていた。らくえんにはかえれないのだ。