(2011.03.16)

 ロフトに転がってパソコンから垂れ流しのTokyo FMでやまだひさしのあつくるしい声きいてる。ラジアンリミテッドのやまだひさしなつかしすぎる。
 ここ数日は地震のあれこれで超エモくて(周辺世界もわたしも)、普段のことがどうしたって手につかない。今のこのはりつめたエモさがじょじょにゆるんでいくといい。実際ここ東京は何ともないわけだから。実害はなにもない。なう。
 それでもどうしても気持ちがうわつく。いまいま、FMから流れてくるクソみてーな応援ソングにくやしいけど泣いたりしてる。

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 わたしの知ってるひさしじゃないやまだひさしのフジテレビ24時間TVばりのピース!フル!モードにへきえきしかけていたらVaioが空気読んでなぜか勝手にシャットダウンされてくれて超ほっとした。−−さんがウィンドウズはくそだってゆっててそんな気がしてきてるけどわたしはあのピンクいろのタフなPCはとても好きだ。かわいいやつ。この地震でおもったのはやはりわたしはこの部屋やこの部屋にわたしが置いているもろもろのものたちが大すきだ。大すきすぎる。この部屋に埋もれて死ぬのなら悪くないやと適当で無責任なことを思った。風でも揺れる木造アパートの、グラグラ音をたてる木のハシゴでのぼるロフトにあおむけで寝て、手を伸ばせば届いてしまう天井をみる。この天井が崩れたら、とか、あの棚が倒れてきて直撃したら、とか、考えても、どうしても、これらを怖く思えないのです。
 とはいえまあもちろん備えてはいる。高いところの本棚(というか冷蔵庫の上)から本を下ろし、段ボールにつめて床に置く。有事のさいに持ちだすリュックを用意した。タオルやらライト、カッターや、ちょっとした食べものを詰める。この作業はこの部屋を出ていくことを連想させて、それだけで悲しい。もうちっとも流れ者じゃない。わたしのばしょができてしまっていた。大すきな大すきなわたしの部屋。面倒くさいけどこれも悪くはないなぁ。
 思えばかえでさんはさいしょからこの部屋を大事にあつかってくれた。この場所を好きといってくれて、わたしの城といった。今、この部屋はかえでさんの部屋でもある。そのことがとてもうれしい。

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 そこそこの揺れが続いているこの数日いっしょにいられるときはかえでさんとずっといる。いっしょに近所の店にいくといつもよりもお客さんが多くて会話もいつもよりかえってはずんでいたりして妙な心地よさがある。地震を機にこいびとへのおもいはぐくんじゃってる、みんなで停電して暗い街で身をよせあって知ってるひとも知らないひともひとつの店にあつまってひかえめな明りのもとでご飯を食べるかんじでほっこりとした気持ちに目覚めちゃってる、わたしのは震災ごっこ・超おままごと。わたしにはイシハラトチジの津波を利用して我欲を洗い流すうんぬんはだいぶんチクリとくるはつげんだった、あれがサイテーなのはうたがいようもないことだけど、その発想がなんとなくぴんときちゃうわたしにもサイテーの片りんがある、けっこうある。このタイミングで震災がアッタカラコソタイセツナモノニキヅケルとかきらきらしたひとみでいっちゃえるのは地震でちょっと怖いおもいをした非被災地のにんげんのおごりなんだろう。もう、普通の生活をしよう。普通なんだからここは。わたしのところは。ちょっとびびりながら、アンテナはりながら、普通の生活を。