海抜0M

 去年の今ごろ、動けずにいた。同居の彼氏に生活費なども待ってもらい、なけなしの貯金をきりくずして生きていた。
 派遣で勤めていた会社を2012年6月末に自己都合で辞め、彼氏と沖縄に行ったまではサイコウだった。東京に帰ってきてから部屋でひとり動けなくなった。やはり初めてバイト以外で勤めた先でうまくいかなかったことは相当にショックで、ジクジクいたんでいたのだ。化膿していた。せっかくの休みだからと楽しいことをしても、つとめてのんびりしていても、いつでも気がつけば会社でのことを考えてしまっていた。わたしは出来なかった正当な反論を頭の中で元上司に何度も何度もぶつけた。それはしょせん出来なかったこと。ジクジクを拡げるだけだった。
 退職を決めるにいたった経緯は複雑で、わたしが口べたなせいもあるが社外の人間に説明するのはなかなか難しいものだった。社内では何人もがわたしを弁護してくれたが、退社してからは頭の中の元上司とひとりで対峙するしかなかった。友だちと飲んでいて仕事の話になっても「なんとなくやめちゃった」で済ませながら、記憶の元上司との闘いはつづいていた。わたし、ほんとのとこ、あんな、パワハラセクハラクソキモ上司なんかに上から押さえつけられて「負けたのだ」……、と思っていたのだけれど、そんなこと。どうしても否定したかった。負けてなんかいないって。必死だった。夢にも出てきた。夢でも負けた。
 仕事を探していても、やがてもうわたしは何をやってもだめに違いないという言葉が呪文のようにからだを支配しはじめる。ハローワークで出してもらった仕事情報のまぶしいくらい白い紙やタウンワークの積み重なった机に突っ伏すだけの時間が幾度も過ぎていった。顔を上げると外は暗い。仕事から帰ってきた彼氏ともろくに会話もせず、何も活動していないはずなのにぐったりと布団に沈む。毎日がこの繰り返しで外に出ないまま2日3日過ぎることもざらだった。友だちの誘いすら、えー仕事やめたの、なんで、えっとねー……のやりとりが辛く何かと理由をつけて断るようになっていた。少ない貯金はタイムリミットへのカウントダウンをとっくにはじめていたが、それでも動けなかった。ひざを抱えて転がり、壁の一点を見つめているとそのまま動けなくなった。固定されたかのようだった。冷房のそよ風がからだに心地よく当たる。地獄だ。外の暑さを知らないまま、夏は終わろうとしていた。前髪は口元まで伸びていた。



 それがどうだ。
 今はどうなんだ。
 初めてしっくりくる仕事をして暮らし、
 元上司のことなどもうほとんど思い出しもしない。


 今、いいじゃん。
 あの頃にくらべたら状況は確実によくなっている。


 あのあと、わたしは冷房のきいた部屋をむりやり這いずり出た。
 吐きそうになりながらリハビリのつもりで週2のカフェのバイトをはじめた。
 慣れたころ居酒屋でも働きはじめた。
 これがよかった。
 勤務時間の長さに救われて、わたしは前の職場のことを思い出す回数を減らしていった。
 極めつけはゴルゴ女史(東京に来ていた友人)が紹介してくれた絵画モデルの仕事だった。
 初めてぞくぞくするくらい楽しい仕事をしていると思った。
 その感覚は、クソキモに負けたのかもしれないことでボロカスに傷ついたわたしのプライドを、効果的に修復していってくれるのだった。


 閉めきった暗い部屋、ゴルゴのLINE(『この仕事なら紹介できます』)が灯台のように光っていたことや、
 わたしがどんなに動けなくても彼氏が徹頭徹尾「ゆっくりすればいいんじゃない」で通してくれた日々にすくわれた。
 それでなんとかここまで来られたじゃん。
 退職後の最悪の時期から立ち直ったのはもちろん、
 これまでの人生のどんな時期と比べても今が一番いいって思えてるとこに来れてるじゃん。


 目指すところはもっと遠くて、あああ、ここまで来たのにこんなに遠いって。さ。
 それはそうだけど。
 確実に高度は上がっているのだ。
 果てしない先が見えてしまって焦るのはそのためだよ。
 1年前よりずっといい場所にいる。
 1年後はもっといい場所にいたっておかしくない。全然おかしくない。


 あごまで伸びた前髪をパカっと分けて視界は良好。
 きっと大丈夫だって信じてる。