こんにちは。

 安定、安定した自分てものが手に入る日はたぶん来ないと思ってた。20歳そこそこのころ。
 昨日思ったことが今日にはくるりと変わっている・昨日似合って買った服が今日は少しもしっくりこない・昨日好きと言ったものが今日は嫌い。昨日できたことが今日できるなんて少しも信じることができないし昨日のわたしがそのまま今日のわたしだとちっとも思えない。わたしはこういう性格です、こういう人なんですと定義できない。紹介できない。連続しないわたしを、不安定な世界を生きていた。昨日と今日でまったく違うことを言うわたしは一貫性がないとも本音がひとつも見えないとも言われ嘘ばかりだともきっと思われていたけれどわたしからすれば嘘ではなかったのだよね。そのときどきのほんとう。だけどそれらはてんでばらばらで、ひとつひとつ見かえしたってわたし自身でさえ、全部わたしが吐いたものだと納得することはできなかった。
 そういう一貫しなさについては開き直ったふうも出していたのだけれどほんとうはやっぱり辛く、コンプレックスでもあった。「今日の自分が明日も自分だ」ていうたぶん普通ならわざわざ信じるまでもないことを信じられるようになりたかった。連続性と安定感、今日の自分が明日の自分である感。切望してた。でもそうはなれないんだろうなあと思ってた。
 まあでもしたよね。安定。いつの間にかしてた。
 昨日思ってたことはだいたい今日も思ってるし、昨日できてたことは今日もだいたいできるようになってた。そうなってるなって気付いたときびっくりした。狼狽した。安定したわたし。
 安定してみてわかったのがこれ、いいことばかりでもないなーということだったりするですね。明日の自分が今日の自分の続きであるなんて、予想がつくなんて、スリルないとも思うもん。つまんなさあるもん。
 一貫しない自分が辛いとか言いながらちゃっかりそんなところにアイデンティティを見いだしちゃってもいたのだなあと気づきもした。あのころ開き直りのつもりで言ってたこと「一貫しないという点においてわたしは一貫しているので問題ない」。そういうわたしでいたかったのだなーと。
 安定を得て不安定を失ったわたしはもうふわふわと地に足のつかない言語をつかうことはできないのだろう。なくして気づく。切ない。足が着かなかったころは辛かったはずなのになつかしい。でも失ったものは失ったものとして、いま持っている言葉で喋るしかないのだこれからは。黙りたくなければ。
 バランスの取れた脚でしっかりと立ち、また口を開きます。