機能しない毒

 ブリタからぽたりぽたりと水が落とされてわたしはそれを飲む。お酒で酔ってるときお水は甘くてなによりもおいしいなあ。このところわたしの言葉は以前にも増してぎざぎざしていて、でもそれってうわっつらだけで実のとこ中身の詰まってないウニみたいで、または毒をもたないフグみたいでくうきょなことこの上ないしみっともない。らんぼうな言葉のとげでやみくもに人を刺すけどなんの毒物も含まれないから刺傷にはなにも残んないしすぐ治るよそんなの。だれもなんとも思わないよわたしのとげなんか。今日はお花をもらってとてもうれしかったし甘いケーキはすごくおいしかった。ひとをつらぬくのはとげばかりじゃなくこういったやさしいものたちもそうなんだっていまさらながらわかったからそういものを生産したいし毒はそのあとにしよう。

2008

その日わたしはひとりで舎人公園にいた。夜会う予定の恋人(夜だけの恋人)は彼女と出かけていて、たしかにデートにはぴったりのすばらしい陽気だった。6月。
バイク置き場にグラストラッカーを停めて、にぎわう園内を歩いてまわった。
大きな池のまわりは釣り竿で混みあい、「釣れてるとこみたことない」と彼が言ったとおりバケツに魚らしき影の見えるものはない。子どもは仕掛けた釣り竿を大人に任せきりにして子ども同士で遊び、大人たちはそこでまどろむか本を読みこんでいるかだった。
はじめてひとりでバイクを運転した興奮と緊張でふわふわとざわついた脚はアスファルトの感触を喜んで、わたしは意味もなく駆け足になり、ウォーキングおばさんたちを追い越して丘をのぼった。
なんだかひとりがとても楽しく思えた。昼過ぎまでは大学の子たちと一緒にいて、けれど今のほうが何倍もわたしはいい。笑っちゃうくらい、ひとりがわたしは平気だ。
丘の頂上のシロツメクサの中に横たわれば空はもう夕の色。足立区の夕焼け空は大きく広がってきれいだ。

夏草の上をぞりぞり転がりながら西日を浴びているうち、しかし、急に冷めてしまった。
彼ときたときはすぐにいくつも見つかった四葉のクローバーが今はひとつも見つからない。白くかわいく咲いていた花も今はばらけて茶ばんでいる。そして彼は今。
こんな所にいるのが途端にばかばかしく思え、日が沈んだら運転もこわい、と理由をつけて早々に退散した。









彼とはいつも細かい約束はしなかった。
会うのはわたしの201号室で、「夜いっていい?」「おけ、寝て待ってます」という感じが常だった。
夜が何時を指すのかは彼が合鍵を回すまでわからないし、または気が変わって来ないかもしれないので、わたしも待つともなく気ままに過ごす。
そういう気楽な感じを、わたしは彼に対して演出していたかったのだけれど、舎人公園からバイクにまたがりすっかり暗くなった部屋に帰って食事を済ませロフトに寝転がって近い天井を睨んでいるときにはもう「寝て待ってます」は強がりでしかないとわかっていた。







深夜になって肩がすこし陽に灼けた彼がやってきたときは、たしかいつも通りねむたげに「やっほう」と出迎えたはずだ。
ふたりで肉を焼いて食べてばかなことを言いあいながらビールを飲んだ。
けれどさっきまでひとりでいたロフトにふたりで上がって抱きあう段になるとわたしはいつもよりきつく彼の胸にしがみついていた。
笑っちゃうくらい、ひとりがわたしは平気、それはそうなんだけどこの、夜の恋人に関するときにははっきりと嘘だった。















舎人公園の夕焼け、暗い天井、そういう景色をときどき思いだすのはとうに人生が遠く遠く離れてしまった彼を想うためではなくて、あの静けさ、あの昏さのど真ん中でどこまでもひとりだと感じていたこと、それが今もわたしの中で生きているのだ。
人はひとりだということ。
それってうん、やっぱりすこし、平気ではないよね。

ベニスの夢

 デジカメを忘れてふたりでベニスへゆく。水先案内人の船に乗り、今夜の宿に向かう。 「どうしてデジカメ忘れちゃったんだろう」運河の上で流れていく景色にわたしが嘆くと「いいんじゃない」とかれがいう。わたしの左手にはお気に入りのAGAT18(おもちゃのカメラ)だけがある、それもフィルムの残りが少なく、わたしは慎重にシャッターを押す。フィルムが売っている店があったら教えてね、とイタリア語も英語もわからないわたしはかれに嘆願する。宿泊先に着き、簡単なつくりのツインの部屋にチェックインする。フロントは愛想のない美人。しばらくそこで過ごしてから、間違いがあったことに気付く。入る部屋が違っていたらしい。急いで少ない荷物をまとめ、ただしい部屋を探すも、こぢんまりとしていると思われたホテルは意外にも広大で、なかなかみつけられない。かれとはぐれ、わたしはテラスに駆けあがる。夕暮れが終わり、星や月が濃くなりはじめる時間のテラスにはさまざまな国の人びとが談笑し、その言語のどれもがわからないために、音楽のように耳をくすぐる。スカートを揺らす風はあたたかい。かれが階段を上ってくる。……







 目がさめて、わたしはまだ奇跡みたいにかれのとなりにいます。いてしまいます。布団のなかで背を向けあっているけれど。たがいの熱がたがいの眠りをあたためていたらいいと思う。そうしてわたしはベニスへとんだのだ。

 ずっとこうして眠れたら、どんなにいいだろう。

けさのこと

好きなひとに別れようといわれた。寝起きのあたまにしみこんでくるには時間のかかることばだった。というかいまだにしみこんでこないです。動揺がゆびの先にでてスマホあやつりにくい。

わたしに好きなひとができたんじゃないの? とのことだった。できてない。

しかしかれが熟考したすえのことなのはわかるので、そう思わせるそぶりがわたしにあったのはたしかなのだろう。でもそれがなんなのか、わからないし、かれも決しておしえてくれない。そしてかれはかたくなだ。手詰まり。

わたしとかれはどうなるのかしら。いっしょにいくはずだった島の話はもうできない。かれといても永遠にくるはずがないとわたしがおもっていた未来はほんとうにくることがなかったのか、それを、みることもできなくなってしまうのか。

2011/01

 今年のはじまりはちんまりとしたあの町でむかえて神社の一角で燃えるほのおを見つめながらとなりにいる人とこれから住むであろうどこか知らない町についておもいをはせた。買ってもらったばかりの手袋はまだつやつやのグレイをしていて毛糸の一本一本は焚き火の熱気をとりこみわたしのてのひらをあたためた。帰るみちみちこの町をすきだとおもった。きんと冷えた冷気がほほを刺すのがここちよく、つないだ手にはほのおの名残があたたかく、河の水はいつもと同じに流れた。次の町に河は流れているだろうか。銭湯はどうか。夏のお祭りはどんなだろう。考えながら顔がにやけた。今は知らないその町をあいすることはわかっていた。つないだ手をくっくっと握るとおだやかな力がそれに応えてくれた。

こんぺいとう

わたしが食べてきたものはわたしを存分に生かしてくれている。わたしがえらんだ食物。ひとつひとつえらんできたのです。あらゆるときに目の前にさらされるふたつの器から。わたしは甘美なほうの器をいつも手に取った。それぞれの器のうしろにはそれぞれの道があって、甘美なくだものでお腹を満たしたわたしはその道を進んでいくことができた。給水地点だった。わたしは分岐のたびににくしみのほうにかぶりついた。あいするほうはえらばなかった。愛はけっして食べずにきた。

わたしはすくすくと育った。お腹に詰まったくだものがからだじゅうに蜜を運んでくれていたようで、あまいあまいからだになった。指を舐めるとお砂糖の味がします。

とんでもなくいやらしいことがしたいなあ

氷だけになったアイス・チャイのストローを舌で揺らしながら
夜がくるのをまっている
家にかえったらしとしとと雨がふりだして
わたしたちを布団のある部屋にとじこめてしまうといいなあ