とおいしおさい

 おとなになってびっくりしたのがけっこうほんとになんでもできちゃうことだったりして、自分でチケットを買ってはじめてそこそこ遠くにいったときやひとり暮らしの部屋を借りてそこに入った最初の日、よろこびはもちろんあったけどそれより先に驚愕があった。えーーって。嘘だーーって。こんなに簡単だなんて信じられない。
 なにもできない子どもだった。どこか遠くにいっちゃいたい。だれもあたしを知らないところへ。そう思うことはたまにじゃなかった。だからビニールの財布から130円取り出して切符を買って電車が行くところまで行った。その電車は半島の先が終着駅で、ホームから海を見て波音を聞こうとするけど浜は遠いみたいでかなわない。わたしの切符は130円なので折り返さなくてはならない、いつもの最寄り駅の、となり駅で降りなくてはならない。ひと駅歩いて家に帰る。また130円貯めるまでこれはできないんだなあ。貯めてもこうして、結局どこにも行けないんだけど。
 っていう無力はじつは16歳であっさり解決していたのだけれど、お金を稼げるようになったことで。ちっとも気がつかなかった。18くらいになってそこそこ遠くの駅の改札を出たときにあれーーって思った。いつの間にできるようになっていたんだこんなこと。改札の先の景色を見ることができるんだ。それだけじゃない。ビニールじゃない財布を見たら中身はまだある、もっと遠くにも行けちゃうんだその気になれば。嘘みたい。でもほんとはもっと早くにできていたはずなのに無力感が強すぎて気づけずにいたなあ。
 旅行をたくさんした。そんなに遠くじゃない、少し遠いくらいでわたしにはじゅうぶんだった。となりやそのとなりの県にいくくらいでもああ自由と何度でも驚いた。それから実家をはなれて部屋を借りた。すごいなあもうこれって何でもできるって言っちゃってもいいな、少なくとも130円の切符にぎりしめた子どもが思ってた“何でも”はできるはずだよもう。そう思った。
 わたしにとって自由ってお金のことだ。おとなになるとお金を稼げるようになるからおとなは自由。
 おとなはいい。ほんとうに。
 今はわからないけどわたしが子どものころは「子どもは気楽でいい」「大人になると仕事をしなければならないので大変だ」ということを言うおとながとても多かったからふうんそうかおとなは大変か。あたし今も大変なのにおとなになればもっと大変か、いやだなあろくなものじゃないなあおとなになる。と思ったものだけど実際どんどん楽になった。おとなになればなるほど楽。子どもがいちばん大変だったよ。

スーモくんかわいい

 ひとり娘のわたしだけれど実家ではなかなか部屋を与えてもらえず、両親と川の字で寝るのがけんかをした日なんかは地獄だったし、そうでない日も思春期の人間にはそこそこ地獄だった。実家が引っ越して中学3年生で待望の部屋を与えられたもののどうしても自分の場所になりきらず(当然だった、そこは不仲な両親の所有物なんだから)、だからわたしはバイトでお金を貯めてアパートの一室を借りたのだった。
 白い枠の出窓と白い梯子で昇り降りするロフトのついた小さな部屋。わたしはその部屋を愛した。小さいころに持っていたささやかなドールハウスを愛したように愛した。感じのいい白で統一された部屋に合わせてIKEAの子ども部屋のコーナーで明るい色の家具を買い、おもちゃみたいなやかんやフライパン、子どもが一番最初に握らせてもらえるナイフのような包丁で料理をしてはそれをにやにやと眺めた。わたしがそこでしていたのはおままごとだったのだと思う。料理をしても、洗濯をしても、買い物に出ても、実際的な生活の臭いは少しも立ち上ることはなく、おままごとをしているときの楽しさばかりが共にあった。生活をするためにお金を稼いできてもお札はなんだか子ども銀行の紙幣みたいで、現実味がなかった。にんじんを切っても包丁はプラスチック製で、切断面はマジックテープで、ドールハウスに住むシルバニアファミリーのうさぎの女の子がそれを食べる、みたいな、自分はそれを眺めている、みたいな……自分のことなのにわたしはドールを動かして遊んでいるだけ、みたいな感覚だった。お金をかけたおままごと。そんな一人暮らしをしていた。かわいいかわいいお部屋のなか。
 今でもわたしはおままごとを続けていると思う。一人暮らしではなくなって、家もあのドールハウスみたいな部屋からはふたまわりも大きくなった。あのころのおもちゃみたいなキッチンでしていたよりもちゃんとしたご飯も作れるようになった。なのに、まだ遊びでやっている感覚が抜けないのだ。でもそれも半分くらいまでだ。ここ数年わたしからは生活の臭いがするようになった。現実という言葉の意味がわかるようになっていた。今の家はふたりでひとめ惚れしたとても素敵な家で今度はドールハウスならぬログハウスといった装いで、家のある町もまたいいところで気に入っているのだけれど、「現実的にここで2人暮らしていくには限界がある、もっと広い部屋を探そう」とわたしは言いだした。物件を検索するときは広さや機能性、水回りの綺麗さを重視した。おままごとだったらかわいさ、雰囲気だけでよかったのに、生活していくことを考えるようになっていた。わたしはそんなわたしに戸惑っているのです。わたしの知っているわたしと違う。わたしが知っているのはいち生活者などになりえるわけがなくて、生活らしいことをしてもせいぜいままごと遊びにしかならないわたしだ。ずっとシルバニアで遊ぶ子どもの気持ちでいるのだと思っていた。
 まあ当たり前にわたしも変わっていくし、ずっと同じでもずっと子どもでもいられないということなのだろう。そんなことを思い知ってようやく受け入れはじめたところだったりします。とはいえ残り半分はまだまだおままごとのままだから、せっかく物件を見に行ってもやっぱりいやだーどんなに広くて快適でもこんなときめきのない部屋はーとだだをこねて現在の家に逃げ帰ったり、かと思えば今度は全く条件を満たしていない木造家屋にときめきすぎて彼氏にたしなめられたり。suumoで物件を探す日と、いややっぱりこの家最高だし離れようなんて考えたわたし馬鹿じゃないの?! と思う日が交互にきて揺れ動くこのごろだ。ずっと今の家で暮らすわけにはいかないのだからいずれ、近いいずれ、新しい部屋に移ることにはなるのだけれど。現実的な生活のある部屋に。それまでは、ままごとの心と生活の狭間で思う存分揺れておこうと思う。決断を下さなくてはならなくなるその日まで。……物件の次回更新日まで(←現実)。

こんにちは。

 安定、安定した自分てものが手に入る日はたぶん来ないと思ってた。20歳そこそこのころ。
 昨日思ったことが今日にはくるりと変わっている・昨日似合って買った服が今日は少しもしっくりこない・昨日好きと言ったものが今日は嫌い。昨日できたことが今日できるなんて少しも信じることができないし昨日のわたしがそのまま今日のわたしだとちっとも思えない。わたしはこういう性格です、こういう人なんですと定義できない。紹介できない。連続しないわたしを、不安定な世界を生きていた。昨日と今日でまったく違うことを言うわたしは一貫性がないとも本音がひとつも見えないとも言われ嘘ばかりだともきっと思われていたけれどわたしからすれば嘘ではなかったのだよね。そのときどきのほんとう。だけどそれらはてんでばらばらで、ひとつひとつ見かえしたってわたし自身でさえ、全部わたしが吐いたものだと納得することはできなかった。
 そういう一貫しなさについては開き直ったふうも出していたのだけれどほんとうはやっぱり辛く、コンプレックスでもあった。「今日の自分が明日も自分だ」ていうたぶん普通ならわざわざ信じるまでもないことを信じられるようになりたかった。連続性と安定感、今日の自分が明日の自分である感。切望してた。でもそうはなれないんだろうなあと思ってた。
 まあでもしたよね。安定。いつの間にかしてた。
 昨日思ってたことはだいたい今日も思ってるし、昨日できてたことは今日もだいたいできるようになってた。そうなってるなって気付いたときびっくりした。狼狽した。安定したわたし。
 安定してみてわかったのがこれ、いいことばかりでもないなーということだったりするですね。明日の自分が今日の自分の続きであるなんて、予想がつくなんて、スリルないとも思うもん。つまんなさあるもん。
 一貫しない自分が辛いとか言いながらちゃっかりそんなところにアイデンティティを見いだしちゃってもいたのだなあと気づきもした。あのころ開き直りのつもりで言ってたこと「一貫しないという点においてわたしは一貫しているので問題ない」。そういうわたしでいたかったのだなーと。
 安定を得て不安定を失ったわたしはもうふわふわと地に足のつかない言語をつかうことはできないのだろう。なくして気づく。切ない。足が着かなかったころは辛かったはずなのになつかしい。でも失ったものは失ったものとして、いま持っている言葉で喋るしかないのだこれからは。黙りたくなければ。
 バランスの取れた脚でしっかりと立ち、また口を開きます。

海抜0M

 去年の今ごろ、動けずにいた。同居の彼氏に生活費なども待ってもらい、なけなしの貯金をきりくずして生きていた。
 派遣で勤めていた会社を2012年6月末に自己都合で辞め、彼氏と沖縄に行ったまではサイコウだった。東京に帰ってきてから部屋でひとり動けなくなった。やはり初めてバイト以外で勤めた先でうまくいかなかったことは相当にショックで、ジクジクいたんでいたのだ。化膿していた。せっかくの休みだからと楽しいことをしても、つとめてのんびりしていても、いつでも気がつけば会社でのことを考えてしまっていた。わたしは出来なかった正当な反論を頭の中で元上司に何度も何度もぶつけた。それはしょせん出来なかったこと。ジクジクを拡げるだけだった。
 退職を決めるにいたった経緯は複雑で、わたしが口べたなせいもあるが社外の人間に説明するのはなかなか難しいものだった。社内では何人もがわたしを弁護してくれたが、退社してからは頭の中の元上司とひとりで対峙するしかなかった。友だちと飲んでいて仕事の話になっても「なんとなくやめちゃった」で済ませながら、記憶の元上司との闘いはつづいていた。わたし、ほんとのとこ、あんな、パワハラセクハラクソキモ上司なんかに上から押さえつけられて「負けたのだ」……、と思っていたのだけれど、そんなこと。どうしても否定したかった。負けてなんかいないって。必死だった。夢にも出てきた。夢でも負けた。
 仕事を探していても、やがてもうわたしは何をやってもだめに違いないという言葉が呪文のようにからだを支配しはじめる。ハローワークで出してもらった仕事情報のまぶしいくらい白い紙やタウンワークの積み重なった机に突っ伏すだけの時間が幾度も過ぎていった。顔を上げると外は暗い。仕事から帰ってきた彼氏ともろくに会話もせず、何も活動していないはずなのにぐったりと布団に沈む。毎日がこの繰り返しで外に出ないまま2日3日過ぎることもざらだった。友だちの誘いすら、えー仕事やめたの、なんで、えっとねー……のやりとりが辛く何かと理由をつけて断るようになっていた。少ない貯金はタイムリミットへのカウントダウンをとっくにはじめていたが、それでも動けなかった。ひざを抱えて転がり、壁の一点を見つめているとそのまま動けなくなった。固定されたかのようだった。冷房のそよ風がからだに心地よく当たる。地獄だ。外の暑さを知らないまま、夏は終わろうとしていた。前髪は口元まで伸びていた。



 それがどうだ。
 今はどうなんだ。
 初めてしっくりくる仕事をして暮らし、
 元上司のことなどもうほとんど思い出しもしない。


 今、いいじゃん。
 あの頃にくらべたら状況は確実によくなっている。


 あのあと、わたしは冷房のきいた部屋をむりやり這いずり出た。
 吐きそうになりながらリハビリのつもりで週2のカフェのバイトをはじめた。
 慣れたころ居酒屋でも働きはじめた。
 これがよかった。
 勤務時間の長さに救われて、わたしは前の職場のことを思い出す回数を減らしていった。
 極めつけはゴルゴ女史(東京に来ていた友人)が紹介してくれた絵画モデルの仕事だった。
 初めてぞくぞくするくらい楽しい仕事をしていると思った。
 その感覚は、クソキモに負けたのかもしれないことでボロカスに傷ついたわたしのプライドを、効果的に修復していってくれるのだった。


 閉めきった暗い部屋、ゴルゴのLINE(『この仕事なら紹介できます』)が灯台のように光っていたことや、
 わたしがどんなに動けなくても彼氏が徹頭徹尾「ゆっくりすればいいんじゃない」で通してくれた日々にすくわれた。
 それでなんとかここまで来られたじゃん。
 退職後の最悪の時期から立ち直ったのはもちろん、
 これまでの人生のどんな時期と比べても今が一番いいって思えてるとこに来れてるじゃん。


 目指すところはもっと遠くて、あああ、ここまで来たのにこんなに遠いって。さ。
 それはそうだけど。
 確実に高度は上がっているのだ。
 果てしない先が見えてしまって焦るのはそのためだよ。
 1年前よりずっといい場所にいる。
 1年後はもっといい場所にいたっておかしくない。全然おかしくない。


 あごまで伸びた前髪をパカっと分けて視界は良好。
 きっと大丈夫だって信じてる。






 

・IO01:

 イオとはぐれてしまった。ヒールをはいても160センチに満たないわたしと比べてさして大きいわけではないしこのホールに50個いじょう上下しているおなじメーカーの黒いキャップのひとつを探すのはそうそうにあきらめた。演奏中なのですいているバーカウンターに陣どったわたしは2はい目のウイスキーを注文する。こちらをちらりしか見ないでバーテンは酒を作りながら身体をゆらしてる。ゆらしかたがカッコイイ。わたしはゆらしかたがわかんない。近くの壁ぎわの柵につかまってそこそこ激しく動いてるホットパンツの女をさっきから真似してる。同じリズムで髪をふりみだしてみてる。ていうかああいう格好の子がおおい。Tシャツとかキャミにちょう短いデニム。わたしの長いワンピースは浮いてるのかもしれない。そんなことばかり想う。これであってるのかって。曲のあいまがきたので「ふー!」て言ってみてグラス持った手をたかだかと挙げた。いくつかの声と腕があがっていたのでたぶんこれでいいんでしょう。なんてねこれだけ満員のライブ(ワンマン)でぎゅうづめで他の客のふるまいをいちいち気にしてるひとなんかいないのはわかる。それでもなんだかな。だれかに監視されてる気がしてならないんですいつも。音楽のある現場というのは。みんなで同じ音を聴き身体をうごかしてるそこにひとつ!って感じをみるからかもしれない。あと周りがみんな音楽好きに見えるから。
 音楽好きのキョーフ。わたしは音楽なんかちっとも好きじゃない。クラブやライブハウスに出かけるのは友達のイベントに誘われたときと男の子が欲しくなったときだ。
 イオと会ったのは欲しかったとき、クラブだった。いっしょに行った女友達とはお互いある程度計画的にはぐれて単独行動。バーカウンターで飲んでいた。せっかくなんだから踊らなくちゃと絡んでくるドレッドをいっしょうけんめいかわしながら酒をちびちび飲んでいた。放っておいてほしい、こちらは何も楽しく踊るみんなをシラけさせたくてひとりで飲んでいるわけではないしここは邪魔にならないバーカンのはしっこだしちゃんと挨拶程度に腰も揺らしているでしょう(あってるかどうかわからないけど)。わたしはよりクラブらしくふるまうためにがんばって酒を回そうとしているところなんです。身体をぶつけてくるドレッドに肘を当てながらあたらしいジンを頼もうとしたところに横からテキーラとライムをよこしてくれたのがイオだった。見るとイオの他にも横並びの4人くらいがショットグラスを持っていてみんなでワーといいながら飲んだ。「ひとり?」イオと名乗ってイオがそうきいてくる。左右で長さも色も違う髪がキャップからのぞいてた。テキーラは胸が灼けるのでいつも目の前のひとに恋してるみたいなエフェクトがかかる。「ん、友達ときてるんだけどどこにいるかわかんなくて」言わなくてもいいことを言い訳がましく言ってしまう。ひとりでクラブにくるのは物欲しい女みたいなのあるし。物欲しいけど。さくさくと二言三言会話すると鮮やかにわたしの携帯番号を聞いて行ってしまった。下のホールでだれだれってDJが回すからといっていた。イオは真性の音楽好きぽくて自分が好きなの聴ければいいから変に周りを誘ったりしないし強要もしないっぽい。
 そのあとめぼしいDJが数人回しおわるとイオは電話をかけてきて酔い足りないのでうちで飲もうといった。飲むことだけしていたわたしそのころにはたいへん気持ちよくなっており更に気持ちよくなるためイオのもとに飛んでった。飛んではいったけどその前に携帯の機能ぜんぶにロックかけるのは忘れない。手慣れたもんです。以前このような流れでゆきずった男の子(クレイジー風)宅で目をさますと枕元にかっちり置いたはずの携帯がなく探していると先に起きていた家主があわてて台所から拾ってきてくれたことがある。「あれえこんなところに落ちてたよ」。うくく。台所には行ってないよん。かれロックのせいでなにも引き出せなかったとみえて楽しかった。自衛とはコンドームよりなにより携帯ロックなのです(きりり)。まあイオ相手にはこれといって効果を発揮しなかった。イオはその日ほんとに言葉通り飲みたりなかったとみえ色のあるムードは一切かもし出さないままターンテーブルにかわるがわるレコードをのせたり次々に酒をつくってくれた。おしゃべりは昼まえまでつづいたのにやることさえできなかった。携帯のロックなんか早々に解除していた。でも光のなか最後の一杯に缶コーヒーをもらって飲んでるときにテキーラのエフェクトがもうとっくに解けててもイオに胸が灼けた。

みどり色の腹巻きを買った。暑いのにおなかが冷えてしかたがない。きれいな言葉をつかいたいと思うのに出るのはつまらない皮肉ばかりだ。ルミネの広告のように痛々しいことが美しくありたい。心はこれから光のあるほうへ向かいはじめる。浴びるものが素晴らしいほどに毒が生成される。毒も薬も私を生かす。後退すること進むこと冷えることと燃えること、沈澱も上昇も変化でいい。ただし一人で生きること。捻挫しても一人で座り込む。食べるものは身体を作る。爪は波うち皮膚が白けている。おいしいと思うものを身体に入れること、好きなものを覚えていること。私のものだけが私の味方だ。好きなひとの好きなものですら私にはなつかない。みずからであることに1ミリグラムの誇りを。いつしか溢れるチョコレートファウンテン。

ソーキュート

 6つ年上のシロちゃんは今は奥さんがいるけど当時は彼女がいるだけだったからわたしのことも気にいっていて車によく乗せてくれていやらしいことを楽しんだ。「彼女がいなかったらお前と付き合っているとおもうよ」とシロちゃんは言ったがわたしは大すきな彼氏がいたしシロちゃんに彼女がいなくてもシロちゃんとは付き合っていないよきっとと思った。おセンチになっている年上男を心のなかで鼻で笑ったし本当に鼻で笑った。咳ばらいして「そっか」とにっこりした。にっこりしちゃうくらいかわいいと思った。浅黒く焼けてがたいのよい大人の男がそんなことを言うのね。

 考えてみればシロちゃん以前にも以降にももしもを語る男の子は常にいた。「結婚する前に会っていたら」「出会いがこんなじゃなかったら」…。

 もしもには夢があるしそれはとってもかわいい夢ですね。わたしもたくさんの夢をみる。あの子と付き合えていたら・あのひとと付き合いつづけていたら〜〜。もしもはふわふわしていて切なくもある夢を見させてくれるしお茶うけやまどろみに最高だけどその力しかない。今とこれからの自分たちをどうこうしたいどうこうしようって心がないのだもん。「もしも」想った時点でその相手とのこれからは諦めてるしよくて現状維持だよね。よって口に出すことじゃないと思うのかわいいけど。とびきりキュートだけど☆☆☆☆

 当時の大すきな彼氏ケイははじめて付き合ったのがわたしでいろいろなことがはじめてだったのである日ふたりで歩いているとき「他の女ともやってみたいなとか思うんだよね」と言った。のちのち思いだして傷つくことになるその台詞はでも第一印象は「すごいよくわかる」で。そうだよなーそうなるよなーという感じ。信じられないけどわたしはその場でもそれから先も怒ったりさわいだりしなかったケイの暴言について。そうだよねそうなるよね、うんわかるよ、でもあきらめてもらうしかないのだった。そのときはすごくわかるよとしか言えなかったしなんだかケイがかわいそうにさえ思えた。今のわたしなら加えてこう言うことができるかも。それでもわたしと出会ったのはだれとも付き合うまえのケイだったじゃん。ケイの気が済むなら他の女とやってみればいい(もちろんわたしは嫌だけどやりたければ黙ってやればいい)。でもケイはわたしのことが好きだし、彼女が好きなのに他の女とやるとかできるケイじゃないじゃん。だからわかるしかわいそうだと思うけどあきらめてもらうしかないよ。わたしたちはわたしたちが出会ったようにしか出会えなかったんだよ。

 ケイもかわいいね。

 わたしたちはわたしたちが出会ったようにしか出会えない。

 かえで(今の彼氏)と出会い好きになったときわたしはシロちゃんが使ったのと逆のもしもに震えた。もしも学校ひとつ、住む町ひとつバイト先ひとつちがうところを選んでいたらかえでには会えていなかったなんて震える怖い。でもわたしはかえでを見つけた。やはりこうなるしかなかったのだと思う。

 後悔も反省もない世界にわたしは生きている。生まれて生きてきて、今のわたしになる確率は;もはや100パーセント。これでいいとか悪いとかじゃなくこうなるしかなかったからもう、もしもを想うならすべてが0のこれからのことを。